安曇野 道祖神 安曇野・穂高温泉郷
八面大王 早春賦 歌碑・音符碑 碌山美術館
穂高の特産品【天産】 穂高神社 わさび田湧水群公園(名水百選)
大王わさび農場 白鳥(コハクチョウ)の飛来地 NHK連続テレビ小説「おひさま」

 「雑記の部屋」でも“安曇野”の魅力を少しずつUPしていきたいと思いますので、ご覧ください。


~安曇野~

安曇野に生まれ育ち、生活してきた生粋の「安曇野人」。

安曇野を紹介したいと思い、今回ホームページに「安曇野の部屋」も作り、少しずつ素人写真を撮り始めました。

そして、安曇野の事を何も知らずに(特に知ろうともせずに)生きてきた事に気が付きました。

緑のないような場所にはほとんど行きませんが、都会の、緑がなくて空気の悪い所へ行くと、深呼吸ができなくなって息苦しさを感じ、そんな時だけ自然とともに生きている事を実感します・・が、普段は安心して溶け込んでしまっているので、自然の豊かさに慣れっこになってしまっていると思いました。




自宅の裏庭から見える「有明山(信濃富士)」

有明山の左奥は、燕(つばくろ)岳。中央頂上に山小屋「燕山荘」の灯りが見えます。 燕山荘グループWEBサイト



自宅の裏庭から見える「北アルプス(白馬連邦)」



ついこの間2011年(平成23年10月1日終了)のNHK朝の連続テレビ小説「おひさま」の、まさに舞台となった有明山(信濃富士)を、すぐ真正面に臨むこの地で、自然の豊かさにもっともっと気づきながら、少しずつ発信できたらいいなぁ~と思っています。

2005年10月1日、穂高町・豊科町・三郷村・堀金村・明科町の5町村が合併して安曇野市になりました。

合併前のわが町!穂高。その穂高の中のわが地域からまずはスタートして、どんどん広い安曇野の自然に目を向けていきたいと思います。




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~道祖神~



上下の2枚の写真は、我が家のすぐそばにある道祖神です。



道祖神」は村の守り神として、多くは村の中心、道の辻、三叉路に立っています。



安曇野は道祖神の宝庫といわれていて、彫刻の種類や表現の内容からみても、とてもバラエティに富んでいます。



江戸時代中期から明治にかけて村の辻々に、村人たちの共同出資で建立されたそうです。



「双体像」と「文字碑」の2種類があって、「双体像」は男女の神の像を彫り込んだもので、男女が互いに握手をしている「握手像」と、男神が盃を、女神がひょうたんととっくりをもっている「祝言像」に大別されているそうです。



【道祖神への祈り】


道祖神は村に悪霊が入って来ないように、最も身近な願いをかなえてくれる存在の神様!




安曇野には、400体以上の道祖神があるそうです。




江戸時代中期を過ぎ、生活が安定するに従い、毎日の暮らしの中で氏神様とはまた趣の違った、気軽に身近な願いを聞いて下さる神々として道祖神をまつり、苦楽を共にしてきた祖先の、ひたむきな心がしのばれます

【常念道祖神】


常念岳をバックに、二本の桜の木に守られてたたずんでいます。
四季折々、素敵な表情を見せてくれます。





【水色の時 道祖神】

当時18歳の大竹しのぶ主演の昭和50年NHK連続テレビ小説「水色の時」に使われ、寄付されたものだそうです。

平成21年に、「水色の時」の脚本家、石森史郎さんが現地を訪れ「30年以上も前の撮影で使われた道祖神が、大切に保存され、安曇野の皆さんの生活の中にたたずんでいる姿を見て、とてもうれしく思い感激しました」と語り、ワサビ畑沿いの小道を歩き、清らかな水の流れを見てタイトルを思いついたことを明かしてくれました。
  
大王わさび農場のすぐそばに位置し、
北アルプスを背に、しっかり安曇野に溶け込んでいる可愛らしい道祖神です。






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~安曇野・穂高温泉郷~



夏の観光シーズンに合せてお目見えの「穂高人形」。
平成23年は大河ドラマ主人公の「江(ごう)」人形。


北アルプスの麓に広がる穂高温泉郷は、数多くの美術館、ギャラリー、ペンション、旅館、ホテルが点在し、温泉は北アルプスの中腹、燕岳登山口のある中房より引湯しています。

(JR東日本)大糸線穂高駅から車で6分位。多くの宿で立ち寄り入浴も可能です。なめらかで、とてもよい温泉ですのでぜひお出掛けください。


素晴らしい安曇野を、全国の一人でも多くの人達に知ってほしいと願いながら、安曇野の工房やアトリエ、ショップ、美術館などを紹介したり、各種イベントや展覧会などを企画し、情報を発信している「安曇野スタイル」の公式ホームページです。 
安曇野スタイルホームページ




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~八面大王~
「信濃(穂高)の民話」として語り継がれている「魏石鬼(ぎしき)八面大王」。

八面大王は、有明山の麓の宮城の岩窟に住み、魔力を持った魔人と言われ、縦横無尽に暴れまわり、北征途中の将軍「坂上田村麻呂」に退治されました。

魔力で生き返る事を恐れられ、体は切り刻まれて別々の場所に埋められた・・・と語り伝えられていて、穂高有明には、耳を埋めたのが「耳塚」、足を埋めたのが「立足」という地名が残っています。

この八面大王は、昭和5年出版「日本昔話集」の中で、民族学者の柳田国男さんによって採り上げられた「矢村の弥助」というお話にも登場します。

「矢村の弥助」のお話は、弥助の妻は、実は以前助けた山鳥の化身で、恩返しにと三十三節ある自分の尾羽根を置いて立ち去り、その尾羽根をつけた矢で、田村麻呂は八面大王を討つことができた・・・というものです。

八面大王のお話には、昔から地元(有明)で語り伝えられている「鬼伝説」のほかに、「英雄伝説」もあります。


【八面大王足湯】








(JR東日本)大糸線、穂高駅北の踏切を西へまっすぐ車で6分ほどの、穂高温泉郷「しゃくなげ荘」すぐそば(北)に、「八面大王足湯」があります

















源泉かけ流しで、底に敷き詰められた丸い石が足つぼを刺激し疲れた足を癒してくれます。


年中無休無料で楽しめます。





大王の八面の顔は「喜・怒・哀・楽」を表しているそうです。

八面のどの顔とにらめっこ?しながら楽しむかはお好みで・・・。

でも目線をかなり上に上げないと、にらめっこはできないので、森林の澄んだ空気と風を感じながら、ゆっくりお楽しみ頂けると思います。


冬はイルミネーションが飾りつけされて、ちょっと幻想的な雰囲気の八面大王です。





山麓線から足湯までの市道200メートルに取り付けられた、子供達が作ったペットボトルツリーや、温泉マークの電飾を眺めながら足湯にたどりつきます。

安曇野市の穂高有明から穂高柏原にかけて、約80基の古墳の存在が知られていて、「穂高古墳群」と呼ばれています。

その中で、一見洞窟のようにみえますが、実は巨岩を利用した横穴式石室の古墳で、八面大王が住んでいたとされる「魏石鬼岩屋(ぎしきのいわや)」。


穂高有明宮城地区の有明山神社。

神社の門に向かって右手に不動尊があり、八面大王伝説の舞台となった「魏石鬼岩窟」への看板があります。

岩窟まで5分ほど歩きます。人一人通るのがやっとの細い山道。道沿いには何十体もの石仏が並んでいます。途中には「熊注意」の看板! わずかな物音も恐ろしく、熊だけでなく、上から迫ってくる不気味さに一人では恐ろしくてとてもいけません。

鉄の扉の上の石部分には仏様が刻まれていて、岩窟の岩上には八面大王の悪霊を防ぐ為に観音堂が立てられています。


小学校の遠足で行った時の記憶が強烈に残っていて、今でも岩窟の前に立つと、赤さびた鉄の扉の奥の暗闇に八面大王の恐ろしさを感じて足がすくみます。




【温泉スタンド

八面大王足湯のそばに温泉の自動販売機(温泉スタンド)があり、自宅のお風呂で温泉が楽しめます。

コインで買うので、日曜日以外は24時間いつでも買うことができます。

90℃以上ある中房の源泉より穂高温泉郷まで引湯され、スタンドの温泉温度は55℃~56℃。

我が家では、毎日利用しています。

180㍑100円(農業用のポリタンクが便利です)。

20㍑10円の販売機もありますので、小さなポリタンクにいくつも買っていく方が大勢います。自宅でぜひ中房温泉を!!




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~早春賦歌碑・音符碑~

木の間越しに見えるアルプスの峰々は残雪にかがやき、吹く風は冷たく、安曇野の春は遅い。春待つ人々の心情を、春告げ鳥のウグイスにことよせて、作詞されたものと云われています。
毎年4/29に早春賦祭りが開催され、早春の時期に歌碑の前で、残雪のアルプスの山々をバックに、式典とハープやフルートの伴奏付きでコーラスがおこなわれます。



【早春譜】 作詩:吉丸一昌  作曲:中田章


       ♪①春は名のみの   風の寒さや
           谷のうぐいす   歌は思えど
           時にあらずと   声も立てず
             時にあらずと   声も立てず


②氷解けさり  あしはつのぐむ 
    さては時ぞと  思うあやにく
    今日もきのうも  雪の空
      今日もきのうも  雪の空


       ♪③春と聞かねば  知らでありしを
          聞けばせかるる  胸の思いを
                          いかにせよとの  この頃か
            いかにせよとの  この頃か





画像 画像





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~碌山美術館~

昭和33年開館   「穂高町50年のあゆみ」より


塔に不死鳥、外壁に焼きレンガを積み上げた、西欧教会風の蔦の絡まる本館は、1958年(昭和33年)開館し、以来、安曇野のシンボルとして愛されています。

近代彫刻の開拓者「荻原守衛(碌山)」の、国の重要文化財「女」をはじめ、全作品が展示されています。

入口の扉には「この美術館は二十九万九千百余人の力で生まれたりき」と刻んだメダルがはめ込まれているとおり、長野県の教職員が中心となって募金活動を繰り広げ、小中学生を含む三十万人近い人々の熱意が実って、北アルプスの常念岳を背にして立つ美術館「碌山美術館」は誕生しました。

当時、穂高町が中学校の敷地を無償で提供し、中学校の生徒達の授業時間をさいての奉仕活動が大きな力となりました。

男子生徒は屋根の瓦を手渡し、女子生徒はレンガを手渡ししている様子が映像で残されています。
会館設立後も、石ひろいや植樹、清掃など生徒達の作業は続き、現在も中学3年生を中心とした清掃作業が毎日続けられています。

私も3年生の時に交代でお掃除をしました。懐かしいです!


本当にたくさんの人達の熱意に包まれた、まさに「安曇野のシンボル」にふさわしい美術館だと思います。

また、碌山と関係の深い芸術家、高村光太郎、戸張孤雁らの作品も併せて展示されています。



つたのからまる本館




屋外にふさわしい「労働者」が入口に・・





グズベリーハウス



本館の他に新しい建物が一棟ずつ増えて、9年後(昭和42年)には、地域の教員・高校生・中学生などの奉仕活動により「グズベリーハウス」が建築されました。


入館者の憩いの場となっていて、ミュージアム・ショップを併設し、収蔵作品などのオリジナル商品の販売もしています。





私は当時中学生で、一人一人長方形の板を渡され、片側だけ丸みが出るようにけずり、裏に名前を書いたり、思い思いの絵を描き、その板が外壁に使われていて、とても良い思い出です。


古い記憶ですが、確かロバート・ボーン演じるナポレオン・ソロのパートナーのイリヤ役、デビット・マッカラムの横顔を書いたような・・。



ハウスの周りに、すっぱい実のなる低木「グズベリー」が植えられ、その名をとって名づけられたそうです。





グズベリーハウス建築の15年後(昭和57年)には「第一展示棟」が建てられ、高村光太郎、戸張孤雁、中村悌二郎、などの荻原守衛の友人や系譜につながる彫刻家たちの作品が展示されています。

又、その10年後(平成8年)に「第二展示棟」も建築され、常設展示の他に期間を設け、荻原守衛に関係する作家の展示や各種の企画展が開かれます。

平成19年には「杜江館」が建てられ、1階は守衛の絵画作品(油絵、デッサン)を展示しています。2階は講演会の会場としても利用される図書館資料室になっています。

時々前は通りますが素通りなので、ホームページ用の写真を撮るために久しぶりに中に入ってゆっくりしました。

絶作<女>の全貌展が開催されていました。

10年ごと位に新しい建物が一棟ずつ増え、隣接した中学校で3年間見続けた碌山館とはだいぶかわりましたが、増えた建物も程よい間隔で建ち、庭の木々も成長して、静かで落ち着いた空間を作り出していました。


パリで絵画の勉強に取り組んでいた時、ロダンの彫刻「考える人」に出会って衝撃を受け、彫刻家になることを決心した守衛は、幾度かロダンのアトリエを訪ね教えをうけながら制作に専念。

帰国した守衛は細部にとらわれない生命感あふれる作品を制作しますが、当初は受け入れられませんでした。

しかし帰国後わずか2年余りで、日本近代彫刻の最高傑作である絶作「女」(重要文化財)など15点の彫刻を残し、30歳5カ月で急逝してしまいました。


【女】の制作

1910年(明治43年)3月アトリエと新宿中村屋を行き来する守衛の愛と苦悩。

黒光への想いの相克は依然として続いていた。

「女」のモデルは職業モデルでしたが、完成した像を見た周囲の人たちは黒光そっくりだと言った。

「女」の像は、腕を後ろに執られて立ち上がれないが、それでも愛を求める女性を表しています。

守衛の切実な愛と苦悩が、黒光を心象としてとらえ、純粋なものに高められて昇華する「女」になった。

精魂を傾けた「女」の制作を終え20日あまりたった時、中村屋の居間で血を吐いた守衛は、親友の戸張孤雁と相馬黒光に看取られ、30歳5カ月の生涯を閉じた。


碌山と関係の深い、新宿中村屋(創業者、相馬愛蔵・黒光夫妻)ホームページの「中村屋サロン」に荻原守衛ほか、美術・演劇・文学・その他広い分野にわたる、多彩な顔ぶれの人物像、エピソードなどが掲載されています。

新宿中村屋ホームページ



碌山美術館ホームページ




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~穂高の特産品【天蚕】~
桑の葉を与え、室内で飼うカイコを「家蚕(かさん)」と呼びます。野生には生息せず、人間の管理なしでは生育することができないので、蚕を野外の桑にとまらせても、ほぼ一昼夜のうちに地面に落ち全滅してしまうそうです。


私の小さい頃、我が家でも「おカイコ様」と呼び、沢山の蚕を飼っていました。触った時のひんやりとした感触や、桑の葉を食べる音など、記憶に少し残っています。


家蚕に対して、屋外で飼育する絹糸昆虫を「野蚕」と呼び、天蚕はその仲間。天蚕はもともと山野に自然の状態で生育していた蚕で、古くは木の枝についている繭を集めてきて糸に紡いだそうです。


歴史的に人口飼育を最初に始めたのは、松・杉と共にクヌギ・ナラ・カシワなどが群生し、多数の天蚕が自生していたわが地元!穂高有明地区であるとされているそうで、有明村の過半数の農家が天蚕の飼育を行ったとされる明治30年ごろが天蚕の全盛期でした・・・が、第二次世界大戦により出荷が途絶え、幻の糸となってしまいました。


その後昭和48年(1973年)、長野県が市町村への天蚕の委託飼育を開始し、旧穂高町は委託飼育市町村となり、農家による飼育が復活しました。


穂高の山深くだけでなく、県外の山まで天蚕を取りに行った農家の方のご苦労話を聞いたことがあります。昔ながらにクヌギなどの若葉で飼育し、天蚕糸を作り続けています。



安曇野市天蚕センター(入場無料)の館内には、写真、天蚕糸や反物、天蚕糸で作られた着物や天蚕糸を織り込んだ小物などが展示されていて、販売もされています。

【安曇野市天蚕センターTEL 0263-8.3-3835】




天蚕の繭からとれる天蚕糸は淡緑色で、独特の光沢と優美な風合いを持ち「繊維のダイヤモンド」と呼ばれていて、染料に染まりにくい特徴を持っているそうです。


写真を撮らせて頂きましたが反射してしまいました。本物の天蚕糸の淡い緑色の光沢は本当に素敵です!!


       ♪ 安曇娘と
           やまこの糸は
             やぼな色には
               染まりゃせぬ


~民謡「安曇節」より~




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~穂高神社~
127年ぶりに建て替えられた拝殿



安曇野市穂高にある「穂高神社」の奥宮は、北アルプス穂高岳のふもとの上高地、明神池畔に祀られていて、嶺宮は北アルプス奥穂高岳の頂上に祀られています。

「御船祭」は毎年9月27日に行われ、船形の山車に伝統の穂高人形を飾った大人船2隻と子供船3隻が、笛や太鼓の雑子にのり境内を練り、神前を曳き回るうちには大人船2隻が拝殿前で、「せ~の!」のかけ声で何回も激しくぶつかり合い、その迫力はすごいです。ギシギシと音をたてて船がたわみます。(今年2011年の御船祭の様子を「大遷宮祭」の次欄でご覧下さい。)

毎年10月8日には奥宮例祭(御船神事)が行われます。雅楽を奏で、龍頭鷁首(りゅうとうげきしゅ)の二隻の船を上高地・明神池に浮かべ繰り広げられる光景は、平安絵巻を見ているかのようです。

上高地開山は4月中旬、閉山は11月中旬とのこと。

色づき始めた木々を移す明神池を一周する平安絵巻を、一度は見てみたいなぁ~と思ってはいるのですが・・・。


上高地、明神池での奥宮例祭
(許可を頂き、穂高神社ホームページより写真をお借りしました)




          
穂高神社には本殿が3社あり、20年ごとの大遷宮祭でこのうちの一社、中央の穂高見命(ほたかのみこと)を祭る中殿が建て替えられます。
その際ほかの2社は場所を移動させるので、20年といっても本殿一社は60年ごとに建て替えていることになるそうです。

20年に一度の「大遷宮祭」は、北九州から移り住んだ海神族・安曇氏が、安曇野で守ってきた海神を建て替えた本殿に遷す神事で、2009年(平成21年)がその年!


大遷宮祭を見据え、老朽化していた拝殿が、本殿がよく見えるようガラスをふんだんに使って127年ぶりに建て替えられ、平成20年12月に完成しました。





豊臣秀吉の招待をうける上杉景勝・直江兼続主従


【大遷宮祭】


平成21年5月の大遷宮祭には、安曇野が誇る「穂高人形飾り物」が奉納されました


82歳・84歳・91歳の伝統を守っている3人の人形師さんをはじめ、穂高人形御船祭保存会員の方々の手によって、約100体の等身大の人形が作られ、歴史上の一場面や、神話・民話の世界など計7場面が、境内の森を背景に壮大に飾りつけされました。


その迫力は「日本一!」と称されるだけあって、見ごたえがあり、動き出すかと思うほど迫ってきました。


7場面のほかに、先ごろ県無形民俗文化財の選択から指定に昇格した伝統芸術を記念して、「源義家勿来の関で歌を詠む」と「魏石鬼八面大王の伝説」の船2艘も展示されました。

(写真にはありませんが、もう一場面「お祭り好きの太閤秀吉が広めた醍醐の花見」の場面の飾りつけもありました)。



古くから安曇人によって大切に受け継がれてきた「穂高人形飾り物」は、木・ワラ・にかわなどすべて昔ながらの材料・道具を使い、素人が素朴な技法で作り上げる伝統の人形で、作り手の心が込められ表情・しぐさなど一つ一つに特徴があって、手作りの温かみが感じられます。



穂高人形祭りには、息子が小さい時、鬼の人形の迫力にびっくりして固まって動かなくなってしまった事など、いろいろな思い出があります。



80~90代の3人の人形師さんが「伝統を支える心意気と技を弟子たちに伝えたい」とおっしゃっていました。


ぜひ継承していただいて、これからも楽しませてほしいなぁ~と思っています。



写真は、すごい人手でチャンス待ちしても人の顔がはっきり写ってしまって、全体アングルが撮れませんでしたので、迫力が伝えられないかなぁ~と思いましたが、本物は迫力満点でした。

竹取物語・・・かぐや姫 月に帰る
(かぐや姫は、決められた時間に現れました!)



山本勘助の最期(川中島の戦い)





源平矢島の戦いで那須与一扇の的を射る


源平矢島の戦いで那須与一扇の的を射る

大阪夏の陣


大阪夏の陣

大江山の酒呑童子


大江山の酒呑童子


御船祭り、長野県無形民俗文化財指定記念

【御船飾りの場面】


◇源義家勿来の関(なこそのせき)で歌を詠む

◇魏石鬼八面大王の伝説


【御船会館】


穂高神社の駐車場に隣接して「御船会館」があります。

穂高神社例祭で引き出される船や、県無形文化財に指定されている伝統人形飾物が公開展示されています。

先日(平成23年5月)覗いた時は、「日光泉小太郎、犀龍に乗り湖水を落とす」「川中島の合戦」「竹取物語」「足柄山の金太郎」「義経弓流しの場」の人形が飾りつけされていました。飾りつけは時々変わるそうです。




【2011年(平成23年)お船祭り】


子供船「明智光秀」

船の左右、左側男腹(おばら)には男の子の着物、右側女腹(めばら)には女の子の着物が何十枚もかけられています。


着物の持ち主は、一年間健康で過ごせるという事だそうです。


大人船にも大人の着物がかけられていますが、ぶつかり合う時にははずすそうです。
子供船「時計のはじまり」
子供船「大阪夏の陣」
大人船「心頭滅却すれば  火も自ら涼し」
大人船「加藤清正の虎退治」
船が境内に・・・
境内を一周して・・・・





拝殿前で大人船2隻が激しくぶつかりあいます。



見物人の興奮が伝わる中、何度もぶつかりあい、すごい迫力です!!
男腹と女腹のぶつかり合いには、子孫繁栄の意味も込められているそうです。



DVD ゆきと爺(じいじ)の安曇野物語】



大遷宮祭に合わせ、安曇野市在住の映画監督、河崎義祐(よしすけ)さんがメガホンを取った、穂高神社式年大遷宮祭記念映像「ゆきと爺のあづみ野物語」がDVDとして発売されました。


監督の、記録映像とドラマのしなやかな融合への初挑戦作品だそうです。

穂高神社の本殿、拝殿の建て替えの様子もよくわかり、安曇族のルーツや歴史が安曇野の豊かな自然をバックに描きだされています。

「どうして海で暮らしていた安曇族が山の中に来たの?」というゆきの質問をきっかけに、穂高神社への関心を深めていくゆきと爺。

映像は、御船祭りや遷宮の様子もとらえ続けています。


安曇野の四季は本当に素晴らしく、心に清らかな風が吹きわたり
雄大な北アルプスの映像に、心が大~きく広がります。  







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~わさび田湧水群公園・名水百選~


北アルプスの雪解け水が地下水となって安曇野のいたるところから湧き出していて、その水量は1日70万トンと言われ安曇野の名産であるワサビやニジマスを育てています

「名水百選」に選ばれた清らかな水がむかえてくれます。



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~大王わさび農場~

北アルプスからの湧水を利用した「安曇野わさび田湧水群」の一角にある日本最大規模のわさび園で(東京ドーム11個分もある)安曇野随一の観光スポットです。

4月の初め頃~5月初め頃まで、白い可愛らしい「わさびの花」に出会えます。年間通して収穫しているわさびですが、この花の時期しか摘み取れない花茎もピリッと辛く、とてもおいしいです。

1989年(平成元年)黒澤明監督映画「夢」の第八話「水車のある村」の撮影が行われた美しい水辺です。


大王わさび農場と脇を流れる万水川(よろずいがわ)と蓼川(たてかわ)の合流地点で「夢」の撮影は行われました。




【夢は人間の心の中に眠っている、あるいは隠れたり抑えられたりしている色々な気持ちが正直に表れるものだ。

そして夢はそれを驚くほど自由奔放な形で見事に表現してくれる。

私はこの映画で、この夢というものに挑戦してみたいのです】

と語った黒澤監督!




監督が舞台として選んだ風景をそのままに、安曇野の自然を大切に守り続けていきたい・・・と語る「大王わさび農場」。





大自然の中で暮らしている私ですが、この水辺は、より深~い呼吸のできる場所です。







大王わさび農場ホームページ



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~白鳥(コハクチョウ)の飛来地・・安曇野~


犀川白鳥湖 犀川白鳥湖



北アルプスを背にした「御宝殿遊水地」



安曇野市の「犀川白鳥湖」に、白い翼(こはくちょう)が初めて舞い降りたのは、1984年(昭和59年)12月。 その年、最大56羽を数えたそうです。

翌85年に「アルプス白鳥の会」が発足し、以来ずっと白鳥を見守り続けています。


その後、平成8年頃から少し北の「御宝田遊水池」にも飛来するようになり、10月中旬には第1陣がやって来て、2月末~3月初め頃まで羽を休めます(飛来のピークは12月下旬~1月にかけて・・)。


昨シーズン(平成22年10月~)の飛来数は、「犀川白鳥湖」「御宝田遊水池」合せて、1300羽を超えたそうです。




平成24年2月3日(節分)、午前8時・・・この冬の最低気温、氷点下13度!

「御宝田遊水池」は池の大部分が結氷して(氷の厚さ3センチ程)、白鳥たちはうずくまったまま動きません。

この日、白鳥たちは、午後1時頃からやっと起き始め、氷も半分以上溶けて、元気に泳ぎまわったり、水浴びをしていました。
白鳥の会の方の話だと、これほど氷がはったのは初めてとの事.

前年の夏の大雨で、犀川の川底が大きく削られて川の水が流れ込まず、湧水の水量も少ない為、水の流れがほとんどなくなった事から、1月に入って氷がはり始めたそうです。
翌日、氷は三分の二ほど溶けて、元気に泳ぎまわっていました。
白鳥の会の方が、まだ残っている氷を割るために、丸いおせんべいみたいなものを、狙いを定めて円盤ののように投げると、白鳥たちが集まって、その重みで氷がどんどん割れて水面が現れ始めました。



2月末~3月初め頃まで羽を休めた白鳥たちは、北へ向かって飛び立ち、一旦、北海道のクッチャロ湖などに集結し、4月末~5月初めに北極圏、東シベリアへ繁殖のために帰って行きます。

ツンドラ地帯の氷がとける6月上旬に、数個の卵を産み、雛をかえします。

9月になるとシベリアは氷に閉ざされ、餌が食べられなくなるので、9月末~10月初めに幼鳥と共に4000Kmの長旅をしてまた日本へ渡って来ます。



 【野鳥の宝庫】
安曇野で羽根を休める白鳥たちの(ほとんどがコハクチョウ)まわりは、90種類以上確認される程の野鳥の宝庫でもあります。


特に、「オナガガモ」・「カルガモ」・「ホシハジロ」・「マガモ」・「ヒドリガモ」・「キンクロハジロ」・「コガモ」・「カワウ」などが多く、珍しい種類のカモもいるとかで、カメラをかまえた沢山の方が、白鳥とその他の野鳥たちのシャッターチャンスを待っていました。本当に楽しみな様子でした)!(^^)!




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~NHK連続テレビ小説(おひさま)~

東日本大震災発生2011年(平成23年)3月11日(金)直後の、4/4(震災により1週繰り下げ)~10/1まで放送された、岡田蕙和脚本の、信州安曇野市と松本市が舞台となった、井上真央主演「おひさま」。

撮影初日に東京のスタジオで東日本大震災の激しい揺れがあり、主人公が、戦前戦後の混乱期を乗り越えて前向きに生きる姿を描いた内容に、被災地東北地方の反響も大きかったそうです。

出演者の方達が「セリフの中に(震災後の)今と重なる言葉があり、今だからこそ多くの人に伝わるメッセージがあるという思いで演じた・・」と語っていました。

NHKの朝ドラは、昔から楽しみにしている方が多い番組だと感じていますので、想像を絶する地震の被害にあわれた方々の心に、出演者の方の思いが、少しでも伝わって欲しいと思いました。

脚本の岡田さんが執筆前に「安曇野は水がきれいなところで、そこにいるだけで心まできれいになった気分になれます。また大きな山がいつも見守っていてくれると思うと、とても落ち着く。特に晴れた日の北アルプスは最高です!!安曇野の大自然をいっぱい吸収してきたので、それを台本にいかしていきたい」と語っていました。


人を優しく包み込む様な安曇野の豊かな自然と共に、力強く厳しい時代を生き抜いた人々のドラマが全国に届けられ、そこに住んできた私達も自然の豊かさに守られて来た事を再認識し、安曇野に心ひかれて住まいを移される方々の思いにもふれる事が出来た様な、そんなドラマでした。



【パネル展・ロケ地写真などで「おひさま」をふりかえる】

懐かしい方言で「おいでなさんし(いらっしゃいませ)」

パネル パネル
大町市美麻の中山高原。大町スキー場跡地のそば畑。 すり鉢状の丘を、そばの花が一面まっ白に染める(春は一面の黄色い菜の花)



パネル】
中央右に有明山(信濃富士)の見える中房川の堤防沿いの道
年末、ロケ地から見た雪化粧した北アルプス
   【パネル】
「農村風景」かやぶき農家、水車、道祖神のセット

パネル】
「農村風景」ロケ地。
安曇野市堀金烏川「国営アルプス公園事業用地

ロケ地の菜の花の季節。
ロケ地のそばの花の季節。
ロケ地冬景色 ロケ地冬景色
道祖神も寒そうです!
パネル】
そば店「百白花」。大王わさび農場水車小屋傍のロケセット。
写真奥に水車小屋が見えます。写真手前に、そば店のセットが組まれ、たびたび登場しましたが、水がきれいで、本当に美しい映像でした。
安曇野を訪れた人達へのおもてなしとして、又舞台となっている地元の人達に喜んでもらいたいと、(JR東日本)大糸線の松本~南小谷間を走る「おひさま」ラッピング列車。 遠方の親戚や知人を通して、安曇野の豊かな自然の魅力が伝わっている話を聞くととても嬉しく、ラッピング列車が日本中の人達を乗せて、清らかな安曇野の自然の中を駆け抜けているような気がして、ちょっぴり楽しくなりました。




【おひさま】を通して

地元が舞台のドラマ「おひさま」を通して、安曇野に生まれ育ち、生活し、今まで安心して自然の中に溶け込み過ぎていて、自然の豊かさへの感謝の気持ちに欠けていたのかもしれない・・・と、思いました。


ドラマの中で今までご無沙汰だった懐かしい方言にも幾つか出会いました!(^^)!

来客に対して、祖母や母が「いらっしゃいませ!」と快く迎え入れる時いつも使っていた方言
「おいでなさんし!」が、少~しクローズアップされ、懐かしかったです。


「おひさま」を通して伝えられた安曇野の魅力!!今まで以上に、沢山の方々に「安曇野の清らかな水と空気」を感じて頂きたいと願っています。





【おいでなさんし・安曇野へ・・!!】





以後「雑記の部屋」にも安曇野の風景など少しずつUPしていきたいと思います!



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